博多にわかの起源について紹介

悪口祭(あっこうさい)説

黒田如水公(1546~1604)が若い時に姫路の一宮・伊和明神の例祭を見たそうです。その中で人々が個人の悪口、政治に対する不満を言い合う悪口祭を見ていつか政治に取り入れたいと思ったそうです。如水公は福岡入りした後に博多の町人たちを一宮・伊和明神に悪口祭などを見学させたそうです。博多の町人たちはこの時の悪口祭の精神を博多にわかに変えたというのです。福岡藩士、海妻甘蔵(かいづまかんぞう 1824~1909)の説です。

松囃子(まつばやし)での戯れ言(ざれごと)説

松囃子は申楽(さるがく)の一種で室町時代に流行したそうです。松囃子とは城下町の人が正月に城主にあいさつに行き、そこでいろいろな芸能を披露し正月を祝うことです。博多どんたくの起源になっています。博多松囃子は神屋宗湛(かみや そうたん)の記録で文禄四年(1595年)におこなったとあるそうです。明和のころ(1764~1771年)の松囃子の道中(石城志)や城内の殿様や奥方の前で戯れ言(冗談。おもしろいことを言うこと)を言った(追懐松山遺事)のが起源とする説。

盆踊り転化説

博多には盆踊りがなく、もともとあった盆踊りが博多にわかに転化したという説、またはにわかが盆踊りに転化したという説。福岡藩士、海妻甘蔵は『己百斎筆後抄』に「 ニハカは自ら体面を変し、全く一種の盆踊となりゐしが、…」と記しており、にわかが盆踊りに転化したように書いています。また、秋樓生は大正7年刊行の「新選博多仁和加」で「寛永年間(1624~1644)に博多仁和加は盆踊りの転化であるのは事実らしい。盆踊りの賑わいの中で出会い頭に謎のような軽口を出任せに言い滑稽諧謔(こっけいかいぎゃく)を連発して行きすぎたそうです」と盆踊りが博多にわかに転化していったように記しています。
ただし、博多にわかの歴史に詳しい井上精三氏は真っ向から否定しています。「江戸時代、即興的、仮装、曳きもの、芝居、踊りなどがすべて『俄踊』と呼ばれており先人たちは、にわかを同系統のものと思ったのではないか?田隈、志賀島、津屋崎では盆踊りがあったという記録があるが博多で盆踊りがあったという記録がない。むしろ、盆おどりは田舎者の踊りと軽蔑していたところも見受けられる。それに祖先の霊をなぐさめる仏教行事が民衆の娯楽になった盆踊りとにわかは起源も性格も違うのでこの説は否定されなければならない」とまで書いています。

大阪俄伝播説(全国的な説)

俄は江戸時代、大阪で始まり俄の大まかな形式が出来上がっていって全国に広がったという説。道端で数人による今でいう小コントをするスタイルでその後、当時の歌舞伎役者のまねやストーリーのパロディ化、また武士社会への不満などを笑いに変えていたものもあったという説。博多に伝わった俄はその後、肥後や佐賀に伝わったともいわれています。この説は全国的には通説ですが、博多(福岡)ではそうでもありません。

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