俄と狂言について

俄狂言という言葉があります。意味は「にわかのこと」とあります。にわかの  起源は世阿弥・観阿弥の狂言の中の「俄狂言」(にわかきょうげん)という人もいます。狂言はにわか(すぐ)にはできないし用意周到な準備が必要です。   能狂言はプロ的です。にわかは素人芸が信条です。武将、大名からある程度保護されていた能狂言が一般大衆がの接する環境はそれほど多くはなかったと思われます。一見、俄とはかけ離れているように思えます。しかしながら「上方俄の研究」では「登場人物が分化しそのセリフのやりとりで進行する最初の演劇的な俄が『狂言』のパロディともいうべき『大名俄』の形態から出発していることに最も端的に現れている。…俄には前近世からの 芸能である『風流』・『狂言』の二つの流れが流れている」と記されています。また、佐藤恵里氏はその著「俄の研究」の冒頭で「風流と俄、俄と狂言という二つの命題を抱えたことになる」と書かれており俄には風流と狂言が深く関わっていることを示されています。

「私は佐喜浜の俄の考究を通して若者が祭りの際に奉じるこの地の俄に『狂言』というものの原型を見、歌舞伎の狂言仕組も原点を実感していた」(「俄の研究」)

足利義満にかわいがられた世阿弥・観阿弥親子は経済的な支援をうけながら  能狂言を続けていくうちにスタイルが確立されました。その後、信長、秀吉、  そして徳川家の保護のもとに保存継承することができました。狂言は笑いのデパートともいわれています。263の演目(狂言では曲と言います)のうちに   ほとんどの笑いのパターンを含んでいるといわれています。

歌舞伎で演じる芝居のことや歌舞伎の芝居の脚本のことも狂言といいます。例として時代狂言、世話(せわ)狂言、義太夫(ぎだゆう)狂言、散切(ざんぎり)狂言などの言葉があります。

初期の時代、演劇的な俄が「狂言」のパロディともいうべき「大名俄」の形態をとります。「罷(まか)りいでたる某(それがし)は・・・」で始まります。     (上方俄の研究)

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